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■アジアで取り残される国インドネシア 今日、インドネシアでは政府。地方の役人から、入管。税関。警察と全てに於いてワイロが横行している。金持ちからお金を貰うのはイスラムの教義に反しないと考えているのか?
どうしようもない国インドネシアだが、子供達にとってはかけがえのない故郷である。
この故郷では子供達が自然と共にのびのび生活しているが、ふと周囲を見ると至る所にゴミが散乱している。家の回りの排水路や川はゴミ捨て場と化し、悪臭をはなっている。雨季になるとこの汚水が町中に氾濫することもしばしばだ。生ゴミにハエがたかり、ねずみが漁る、水溜まりにはボウフラが…。
考えなければいけないのは、ゴミの多くは経済の発展と共に増えたビニール・プラスチックであることを!バナナの葉で良かった物が、ビニール・プラスチックに変わったのである。
私達はこの国の子供達の生活環境を改善するために啓蒙活動を行っています。 |
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■繰り返される悲劇、インドネシア
| 1.インドネシアの歴史 |
情勢 |
| 1602年 |
オランダが東インド会社をジャワに設立 |
植民地の時代 |
| 1943年 |
日本軍が占領統治 |
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| 1945年 |
独立、初代大統領にスカルノが就任 |
貧困の時代 |
| 1965年 |
共産党のクーデター未遂事件発生
(スカルノは実質的に失脚、スハルトが実権を持つ。
この事件により中国人を排斥、50万とも80万人とも言われる虐殺が行われた。) |
大量虐殺 |
| 1967年 |
第2代大統領にスハルトが就任
| 独裁政権→闇の軍団 |
} |
国民戦線情報庁
陸軍特殊部隊
パンチャシラ青年団 |
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悪役の印象が強いスハルトだが教育の普及には力を注いだ |
経済の発展
貧富差の拡大
利権の独占
教育の普及 |
| 1998年 |
5月に失脚
(利権の独占→国民の反発→失脚)
中国系国民に対する、焼き討ち・略奪・レイプが行われた |
暴動 |
| 1998年 |
5月に当時副大統領のハビビが第3代大統領に就任
東チモール独立(20万人とも言われる虐殺) |
大量虐殺 |
| 1999年 |
大統領選挙により第4代大統領にグスドルが就任
国軍の改革を試みるが進展せず |
民主化の試み
バリ島爆弾テロ |
| 2001年 |
大統領選挙にてメガワテイが第5代大統領に就任
民主化を推進中だが国民はその手腕に失望か? |
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| 2. |
自然と共に生きる国民 |
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インドネシアの民族はマレー系のジャワ、スンダなど27種族に大別される多民族国家である。宗教はイスラム教87%(マレー系住民)、キリスト教10%(中国人等)、バリ島のヒンズー教等、其の他3%になっている。大多数を占める、マレー系の人達は恵まれた気候、大地の中で自然と調和して生活している。裕福とは言えないが、飢餓で苦しむことなく、あくせくすることなく自然の流れで生活している。彼らは言う、困ったらまた昔の様に、芋(タロ芋)とバナナを食えば良い!と。又、日本の様に苦悩の末、自殺する人も居ない様だ。子供達は実に元気で明るい。首都ジャカルタ等の大都市では、路上交差点で子供の物乞いを見かけるが、食うに困って物乞いをしている様には思えない。彼らは単に、現金収入を得るひとつの手段と考えているだけなのではと思う。なぜなら、この子供達の多くは地方から来ており、物乞いで得たお金を田舎の両親、家族に送金していると言う。日本人の尺度では理解出来ない一面である。しかし子供達には教育を受ける義務がある事に親達は気づいてない様だ。 |
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3.日本と関わり深いインドネシア
| (1)1当たりの国民総生産 |
2002年 |
US$676(日本US$35,620、中国US$840) |
| (2)成長率 |
2002年 |
3.7% |
| (3)物価上昇率 |
2002年 |
10% |
| (4)貿易相手国(輸出) |
2001年 |
1位.日本28.2%、2位.米国20.7%、3位.シンガポール14.8%、 |
| (4)貿易相手国(輸入) |
2001年 |
1位.日本24.7%、2位.シンガポール13.2%、3位.韓国12.7% |
| (5)主要援助国 |
2001年 |
1位.日本62.5%、2位.米国10.3%、3位.オランダ8.7% |
| (6)在留日本人 |
2002年 |
約13,000人 |
(7)在日インドネシア
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2001年 |
約20,000人 |
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国民総生産は日本の1/60、1998年の暴動発生以前は7%台であった成長率も暴動以降は鈍化している。一方、物価は年々上昇し国民にとって不満要因となっている。
1998年当時、1,000ルピア(14円)/リットル程度であったガソリンも2003年現在1800ルピア/リットルまで上昇した。貿易面では、輸出入の相手国別・対インドネシア援助国で日本がトップになっている。街中を走る車の70%以上が日本車であり、家電製品に於いても日本製品が氾濫している。 |
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| 4. |
暴動、虐殺の繰り返し |
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| (1) |
1965年、共産党のクーデター未遂事件により50万〜80万人が虐殺された。この首謀者は、第2代大統領に就任したスハルトの策謀と言われる。 |
| (2) |
1998年のスハルト失脚時に各地で発生した華僑に対する暴動(焼き討ち・略奪・レイプ)、マルク・ロンボク島で発生したキリスト教とイスラム教の抗争などもスハルト一派のインドネシア国軍が扇動したと言われる。 |
| (3) |
2002年の東チモール独立までに20万人が虐殺されたと言われる。この事件でもイスラム教徒(インドネシア)対キリスト教徒(東チモール)の抗争を装う国軍の策謀があった。
なぜ暴動.虐殺が繰り返されるのか?
確かにインドネシアの人達は温厚な一面『切れる』と何をするかわからない人達と言われるが。これらの事件は、その国民性を利用した一部の特権階級が国軍と組み行われて来たと言える。インドネシア国軍の『闇の部分』が解消されない限り今後も悲劇は繰り返される。決してインドネシア人が凶暴な国民性を持っている訳ではない。 |
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| 5. |
『華僑』抜きで成り立たない、インドネシア経済
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1970年代から1997年のアジア通貨危機まで経済成長率7%程度を達成して来たが、貧富差の拡大と言う問題も生んでいる。インドネシア経済は華僑の存在抜きでは語れない。インドネシアの華僑は全人口の5%、約1,000万人('01年)となっており、貿易・国内物流・商業・其の他製造の一部を牛耳るまでになっている。この華僑が1997年の通貨危機、1998年の暴動により、オーストラリア・シンガポールなどに逃げ出したため、経済の屋台骨が崩壊し、現在も完全復帰出来ていない。
なぜ華僑は資本を流入してきたのか?それはインドネシアの預金金利の高さに起因する。現在(2002年)でも金利8〜10%程になっている。これでも80年代以降最低と言われている。
1998年のスハルト失脚時には30%前後となっていた。この金利で儲け、またビジネスに投資する訳である。 |
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| 6. |
融和出来ない中国系国民(華僑) |
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約1,000万人の中国系国民の先祖は、オランダの植民地政策の一環として、カリマンタンの金鉱山やスマトラ、ジャワの農園労働者として中国の福建省、広東省から移住して来た。
その後、彼らは巧みな技術力と勤勉さで次第に力をつけ、現在はインドネシア経済を牛耳るまでになった。決して搾取する事ばかり考えて来たのではなく、人一倍の努力をして来た結果だと彼らは胸を張る。しかしマレー系の国民はお金の事しか考えない連中と、やっかみを持ち、彼らを嫉み嫌っている。それは散発する暴動の鉾先がいつも中国人の商店、オフィスであることでも解る。さらに1998年の暴動時に多くの中国人女性がレイプされたことで、お互いの不信感を決定付けてしまった。この暴動以降、中国系の人達は自分の家を鉄格子で覆い、一日中門扉に南京錠を掛ける様になった。経済面から見ても、現在東南アジアではシンガポールをハブ(中心)として資金、物が動いている。日本からインドネシアに資金を送る際にもシンガポール経由で送る事が多い。そのため彼らはただシンガポールを経由するだけで、シンガポール(華僑)が上前をはねていると考えている様だ。
宗教面でもキリスト教、仏教徒の、中国系国民がイスラム教徒のマレー系国民と結婚するケースは稀であり、今後も両者が融和する事はないだろう。ちなみに中国系国民の多くは中国名とインドネシア名の二つの名前を持って生活している。 |
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| Izawa |
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